2019年7月27日土曜日

誰もが生まれながらのアドヴァイザーを持っている

2014年9月7日日曜日
http://web.archive.org/web/20141010161552/http://reptilianisreal.blogspot.jp/2014/09/blog-post_97.html

http://web.archive.org/web/20140927054047/http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-4420.html

あなた方の魂の進化は、本人自身が本当にそれを望み、決断した時にのみ本物となる。あなた方には転生の前後を通じて、成長を指導してくれる高次の存在が付き添うが、そうしたことを意識しすぎると、それに左右されて自由な行動ができなくなってしまうものだ。それは親や先生の前では意識的な行動をとってしまう子どもと同じで、誰もいなければもっと自由で、本来の自分の姿に近い振る舞いができるのと同じである。

   そのためにそうした記憶をなくし、誰にも監督されているという確証を持たずに物質界へ転生するのである。それはあなた方の魂が何の制約も受けることなく、意識せずに完全に自由の中で行動できるためであり、自らの経験を通して自分自身でしたいことを決められるためなのだ。

   霊的な真実をより深く知りたいと願う者は、必要な答えや霊的な援助を得るだろう。
   それがたとえば、宇宙が物理的にどう機能しているかを知りたいという偉大な好奇心が、常にあなた方がさらに重要な科学的発見をするようにと駆り立てている。霊性においても同じであり、あなた方の魂が充足感を得るためには、自らの疑問に答えを見出す必要があり、因果関係の探求によって隠れた事実を発見できるのである。

   魂には本来、目の前の偽物や本物を見極める力が備わっている。
   それは良心や感情からくる囁(ささや)きであり、魂の進化が進むにつれてそれがますます明瞭なものとなる。時々立ち止まり、それに耳を傾ければ、多くの答えを得ることができるだろう。しかしそうした霊的な真相を知るためには、自分も努力してそのように決意しなければならない。それを古いことわざでは、「汝自身を知れ。そうすれば宇宙を知るに至るだろう」と言うのだ。

   あなた方の魂は見捨てられてはおらず、ガイド役の霊的存在たちが常に助けてくれている。自分では解決できないような問題がある時には、さりげなく答えを示してくれている。そうした援助は、あなたがたの回りの人を通して与えられる場合も多い。しかしあなた方は多くの怖れや社会的常識なるタブーを抱えており、そうした自らの先入観や思い込みとは相容れない回答を認めることができないことから、高次元にいるあなた方の仲間たちは思うように支援することができない。

   たとえばそのよい例が、死に対するあなた方の態度である。
   今日のあなた方の社会では未だに、死というものは忌(い)むべきタブーであるゆえに、魂が肉体を離れる場合、家族や愛する者たちの間で悲劇が繰り広げられる。それはなぜなのだろうか? あなた方は自分には理解できないということだけで、魂は死なず、肉体の死後も魂は存在するという証拠を認めようとはしない。別次元へ移動した魂たちが、別れの挨拶や、愛する者たちを安心させるために何らかの形で現れて見せる時、あなた方は単にあり得ないことと信じ込んでいるために、その事実を受け入れることができない。

   そうしたことには、宗教の影響も大きい。
   現存する宗教の教えは、実際の証拠や証言によるものではなく、つくられた愚かな教義に基いて死や死後の説明をしている。彼らは霊的なコンタクトは全て否定することで別次元との交信を禁じ、承認しない。そのために死は忌むべきものでなくてはならず、死を怖れさせる必要がある。

   また一方で物質至上主義のあなた方の世界の科学は、末期患者や臨死体験をした人々の証言から、死のベールを剥がして真実に近づこうとする、少数だが勇気ある研究者をあらん限りの邪魔をするのある。その結果、死にゆく人々やその愛する人々は、慰めも希望も見出すことなく、悲しみに覆われ、心情的に完全に見捨てられてしまう。

真の祈りとは何か

   しかし助けてもらいたければ、それは簡単なことである。
   ただ、そう頼めばよい。心からの願いを霊界に送り、何が起こるかを待ちなさい。ただ単純に、自分の状況や必要なことを話し、助けを請いなさい。あなた方11人に付き添う指導霊たちはそのためにいるのであり、こうしたあなたからのメッセージを受け取って対処するためにいるのだ。心から誠実に、霊的成長と進歩を達成したいという思いから願うのであれば、答えが得られるだろうかと心配する必要はない。

   これが本当の祈りなのである。
   神や仏や、イエスや聖母や聖人を崇める祈りを、限りなく何回も繰り返すのが祈りではないし、そうしたものはあなた方にとっても霊界にとっても何の意味もないのである。

   あなた方の求めている支援は、多くの場合、あなた方の自由意志に干渉しない非常に精妙な方法で与えられる。しかもその魂が本当に必要としていて、それを受け入れる態勢にある場合にだけ援助される。あなた方をガイドする存在たちは、ある時はあなたの良心の囁きを介して、頭の中であなた方に話しかける。あなたを守る他の存在たちも同じようにし、悩み事の種類に応じて助言する。

   そのゆえにあなた方の良心の声の中には、指導霊だけでなく、霊的な兄弟などの霊界からの声も一部含まれることになる。それだけでなく、あなたがこれまでの無数の転生を重ねる中で培(つちか)ってきた、叡智を宿す自分自身の魂の声もそこに含まれているのだ。このようにしてこの心の声は、問題解決のための援助や助言となり、あなたの人生が幸せであるか辛いものであるかに関わりなく、あなたが霊的成長と進化を遂げるための最大の恩恵を引き出し、エゴを取り除くために、また無条件の愛の学習に役立つようにしてくれる。

   援助を受け取るためには、答えを見出す必要のある質問をして後、それが得られることを信頼して確信し、良心の囁きがもたらす返答に安心して耳を傾けることである。瞑想というのは、霊的観点から言うならば、日常の問題から頭を解放し、内なる声が聞けるような冷静な状態になることである。それは自分の欠点や傾きを観察して改善し、自分というものの気持ちを大切にすることに役に立つ。

自分自身を知る行為こそが「瞑想」

   瞑想とは、自分自身を知るために自己を分析することであり、いつ自分はエゴのままに行動し、いつ心に従って行動したかを認識することができる。もしそれがわかるのであれば、どのような瞑想法を用いるか、用いないか、するかしないかはもはや問題ではない。しかしあなた方は多くの場合、本質的なことではなく表面的なことにこだわるが、何をするかしないかは問題ではなく、どのような意図を持っているかが重要なことなのだ。

   なぜこのようなことを言うかといえば、呼吸法で頭をカラにし、何時間も蓮華(れんげ)坐を組んだり、身動きしないでいられる非常に器用な人々がいるが、そうした人々であってもそうした瞑想状態から離れるやいなや、いつもの霊的な悪癖に逆戻りして浸り込む。そうした特定のテクニックを真似ているだけなのに、自分を霊的であると思い込んでいる人々が多いからである。それは瞑想でも何でもなく、ただその振りをしているだけなのである。

   良心の声を明瞭に聞くには、頭の中のおしゃべりをやめ、日常的な心配事から頭を自由にしなければならない。独りになれる静かな時間を設け、自分の欠点や傾き、その日の自分の行動、発言、心の動きなどを思い返してチェックし、あるいは書き出してみる。そしてもしあなたが願いを心から誠実にするならば、必ず必要な答え見出すことができ、また試練にしっかりと立ち向かえる力が与えられる。

   しかし良心の声は、我々をおだてたりするものではなく、ひいきもせず嘘もつかず、我々のエゴを不快にするようなことも言う。

またあなた方は皆、睡眠中にもより多くの直接的な援助を受けている。それは肉体が眠っている間に、魂は身体を脱け出して物理的次元をしばらく離れて霊的次元へ行くからだ。そしてそこでガイド役の存在や親しい者達と出会い、日々の生活のさまざまな問題を解決するために援助を受け、頑張る気力をもらう。つまり、あなた方は意識することはないが、誰もが皆、夜の間に肉体を離れて、霊的アストラル体で旅をしているのだ。

   ほとんどの人は睡眠中のそうした霊界での交流体験をはっきり覚えてはいないが、人によっては何らかのイメージや記憶が夢として残ることがある。夢には、目を醒ましている時には理解できない事柄を、明確にしてくれる記憶が暗号化されて含まれている。だから元気で過ごすためには、睡眠を十分に取ることがとても大切である。良く眠れないと、霊的次元と直接的な交信ができなくなり、物質的次元における試練と向き合うために、必要な助言や活力を受け取ることができないからである。

book 『魂の法則』 ヴィンセント・ギリェム著  ナチュラルスピリット

0 件のコメント:

コメントを投稿