2019年2月3日日曜日

イエス様は宇宙人だった?

2013年4月13日土曜日


私も何回か新約聖書を読みましたが、イエスの様子を語った部分はおもしろいと思いましたね。聖書は何回も改竄されていて、あまり価値がないという様な話も聞きますが、しかし、イエスの描写の部分は特に興味深い部分です。
弟子達がガリラヤ湖で漁をしていて、全然魚が取れなかったが、イエスが岸に現れて、右側に網を投げたら魚が取れると教えてあげた。(どこに魚がいるか分かる予知能力のある宇宙人だった?)弟子達が岸に着いたら、既に、イエスはバーベキュー用の火を用意しておいてくれていた。そして、みんなでその魚達を焼いて食べた。そこで、イエスは弟子のピーターに「オイ、おまえ、その魚のバーベキューと俺と、どっちが好きか?」と聞いた。しかし、弟子のピーターはその問いに答えることはできなかった。これって笑えると思いませんか?イエスの弟子でも、空腹の時は、食欲が精神的なものより勝るという事です。

あと、聖書の中で、イエスと食べ物の関係では、イチジクの木があげられます。イエスは空腹の時に歩いていると、イチジクの木が見えた。そこで、彼は、そのイチジクの木の実を食べるために探した。しかし、実は1つもなっていなかった。そこで、イエスは「実が1つもならないイチジクの木なんて、枯れてしまえ!」と叫んだ。そして、そのイチジクの木は、次の日には枯れていた。ここの部分も笑えるところです。イエスでも空腹の時には癇癪を起こした?

その他にも、弟子達が船で、ガリラヤ湖の対岸に行く途中、嵐にあった。そしたら、イエスが湖の上を歩いて船に向かってきた(彼は水の上を歩ける宇宙人だった?)。弟子達は幽霊かと思って恐怖におののいたが、イエスだと知って安心した。弟子達が食料のパンを持ってくるのを忘れ、少量のパンしか残っていなかった。しかし、岸に着くと、何千人もの人々が、イエスを待っていて夜になっても去らなかった。そこで、イエスが弟子達に、人々にその少量のパンを分けて配るようにと言った。弟子達は、とてもじゃないけど足りないと反論したが、配った後、残りのパンを拾いに行ったら、元にあったパンよりも量が多かった。イエスは弟子達に「だから言っただろう。食べ物の事は心配するんじゃないって!お前達は何回言っても分かんないナー!」と言って呆れた。(イエスはパンの量を増やす事ができた宇宙人だった?)

イエスは弟子達に「山に、動け!と言って、山を動かす事もできるんだよ。」と言った。(イエスが高度な技術を持った宇宙人であれば十分に可能な事。この世界の現実はすべて変えることができるホログラム?)

一番印象に残ったのは「あなたの目には材木が刺さっているのに、なぜ、他人の目に入っている小さなゴミについて指摘できるのですか?」これって、自分達には巨大な欠点があるのに、それを棚に上げて、なぜ、他人の小さな欠点について指摘することができるのか?ということなのですが、ちょっと表現がおもしろいでしょ?よく光の銀河連邦のメッセージに他人を判断(良し悪しを勝手に決める)するんじゃない、と何回もでてきますよね。これって、イエスが言った、自分の欠点を棚に上げて、人の欠点について指摘するんじゃあない、というのと同じ事ですよね。つまり、イエスは光の銀河連邦からやってきたアセンデットマスターだったのではないのか?

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